ちょっと古い話になってしまいますが、
加藤貞顕さんという方が、2012年10月8日に週刊アスキーで
「あのひとはなぜ「ネタ切れ」しないのか?――世界を見つめる解像度」
という文章を書いていました。
毎日原稿を書いていてネタ切れしない人物の例として
糸井重里さんと茂木健一郎さんを挙げているんだけれど、
ネタ切れしない理由として
物事を見る解像度が普通の人よりも段違いに高いので、
同じものを見ても見えているものが全く違っていて、
それがネタにつながっているのではないかという説を書いていました。
先日、それを思い出したのは、
12月4日の朝、
日曜美術館という「NHK Eテレ」の番組で
ティッツィアーノという画家の特集をしていました。
この画家は当時の最大権力者だった
カール5世に気に入られて多くの肖像画を描いていたのですが、
カール5世と権力を争っていたローマ法王からも何度も頼まれた末に、
ローマ法王の肖像も描いています。
この番組にゲストとして登場していたのが
大阪大学でロボットやアンドロイドを研究している
石黒浩教授という方で、
マツコ・デラックスのアンドロイドを作った人として有名ですが、
このローマ法王の肖像画を観て批評をしていたコメントが、
まさにモノを見る解像度の高さを表していました。
石黒さんは日頃のアンドロイドづくりの研究では
人間がふだん自分自身で意識しないような、
非常に細かな表情までも観察して、
それをアンドロイドの表情に反映させているんだそうです。
そういう分析的な目でティツィアーノの絵を見ると、
たとえば左右の目の焦点が微妙にズレているといった点を
しっかりと観察していたりします。
僕なんかは
言われてみるとそうかなあとしか思いません。
しかし、石黒教授はきっと、
アンドロイドの目の機構を設計するときに、
眼球が焦点をあわせるときに、
左右の目の向きや角度などを計測して調整するといった、
数字面からの分析をしていたり、
さらに、その時の表情がどのようになるかを
自分の目で観察していたりするのでしょう。
また石黒教授は
顔の左右の表情の違いなどに着目していましたが、
これもアンドロイドをつくるために、
実際の人間の顔が完全な左右対称ではないので、
左右での違いがどのように表情に影響し、
それがどういった感情や人格に反映されるのかということまで、
細かに考えているのでしょう。
そうした観点から、
ローマ法王の人物像を浮き彫りにしていくわけです。
これはまさに、
僕なんかがボーッと漠然と絵を眺めているのとは違って、
モノを見る解像度が
ハンパなく細かいんだなというのを実感させられました。
これはネタには困らないんだろうなと思います。
コメントを残す